あまりHPで心の奥底に眠らせている事を
載せたりする事がほとんど無かったんだけど、
思い切って載せてみました。
私の母は私が高校1年の時に病死しました。
その半年以上前から体調が悪い日が続いていて、
反抗期だった私と父がケンカをしている間も
横で仲裁しながら嘔吐を繰り返していたのを鮮明に覚えています。
その時の私は気になりながらも、見ないフリをしていました。
数ヶ月後、病院嫌いの母が父に押され病院に行くと、
総合病院で見てもらえるように紹介状を貰った様です。
一番近い総合病院で見てもらうと、胃潰瘍かもしれないと言われたらしく、
ベッドが空き次第、即入院して手術する事になりました。
手術の日、私と父、(兄がいますが、この時はバイトでいませんでした)
母と仲の良かった叔母夫婦、母の従妹、父の弟夫婦とあと数人いたと思います。
予定では3〜5時間くらいと聞いていたんだけど、
実際は9時間もかかりました。
手術が終わって、担当の先生に呼び出され、
初めて母の病気が分かりました。
母は末期胃癌でした。
この事は母には言ってはいけないと、父と叔母に言われ、
兄にも口止めしてく事になりました。
その後、入院中に高校受験、中学卒業、そして高校入学。
高校生になってからは運動部に入ってしまい、
あまり見舞いに行けなくなってしまいました。
本当は行けなかったんじゃなくて、行くのが怖かったからでした。
母の顔をいつまで見られるか考えたくなかったからだと思います。
母からもいつも来てくれないと怒られてしまった事もありました。
けれど、たまにお見舞いに行くと嬉しそうにしていました。
こっそり2人で食べたもらい物のクッキーの味もよく覚えています。
その後、2度の手術、肺にまで転移していた為、
もう長くない事を知りこの時にやっと、母の死期が近い事を実感しました。
入院して半年過ぎた頃、
家にいた兄と私の所に病院にいる父から電話があり、
危篤状態になったからすぐに来て欲しいと言う事でした。
行くと、叔母夫婦もいて、
病室に入ると睡眠不足の父と意識の無い母がいました。
私が側にいても何もしてあげられないし、
とても怖くてたまらなくなり、顔を見られませんでした。
けれど、心拍計の音が徐々に長くなると、父と私は母を呼び続けました。
兄も見た事の無い顔でただじっと母を見ていました。
そして、母はそのまま息を引き取りました。
私も周りの人たちもみんな呆然とし、
その場にいた先生や看護婦さんたちも涙ぐんでいました。
その後も通夜、告別式と行い、あっという間に時間だけが過ぎていきました。
その時から結婚する1年前まで、
私や父、兄がもっと早く気付いてあげればと、
私たちのせいで母が病気になってしまったととても後悔していました。
(実際はそうじゃないんだけど。)
それから、母の分まで父といつも一緒にいてあげられたらいいかなと思い、
部活も1年間で退部し、学校が終るとほとんどまっすぐ帰るようになりました。
そうする事で、母が死ぬまでの思いを償っていたと思います。
母の死後、上で書いた後悔の思いは昔付き合ってた彼氏と、
今の旦那に言われた言葉で気持ちがすっきりし、
こうして「呟」にも載せられるようになったんだなぁって思います。
今年、2003年の9月には13回忌。
私も母になったんだよと改めて墓前に言いたいと思っています。
つまらない文章でしたが、ここまで読んで頂いてありがとうございました。
